
ユニバーサルメルカトル図法
これはおそらく正距円筒図法なので、正しい地図です。この地図にあわせてメルカトル図法に真円と等距離円を描くとこうなります。
ref. http://www.lizard-tail.com/isana/tmp/share/mercator_130415.JPG
(追記) 上のキャプチャは画像の上部が切れているので違いがわかりにくいですね。
(追記の追記) 参考として上げたサイトが訂正の上記事を削除されたので、こちらも削除しました。
(Source: overdope)

ユニバーサルメルカトル図法
これはおそらく正距円筒図法なので、正しい地図です。この地図にあわせてメルカトル図法に真円と等距離円を描くとこうなります。
ref. http://www.lizard-tail.com/isana/tmp/share/mercator_130415.JPG
(追記) 上のキャプチャは画像の上部が切れているので違いがわかりにくいですね。
(追記の追記) 参考として上げたサイトが訂正の上記事を削除されたので、こちらも削除しました。
(Source: overdope)
薬屋さんの角から3本目の電柱にフックした所で、肩に師匠が乗ってきた。首の鈴がチリンと鳴る。
「さっきの角の所、架空地線にライズする時に引き込み線に足をかけたな」
やばい、どっから見てたんだろう。この辺りは師匠の縄張りからは外れてる筈なのに。
「新しいテナントビルへの引き込みだから耐荷重もちゃんと…」
我ながらダメすぎる言い訳だ。師匠が指摘しているのはそこじゃない。
「あそこはビル側の固定が錆びてる。確認せずに引き込み線に乗るなとあれほど…」
舌を出しながらトランスを支える鋼材にフックロッドを掛けて体を引き上げる。でも、あそこはもうガタが来てるのか。覚えておこう。オーナーが施工屋に払いをケチった証拠だ。
「ごめんなさい、つい」
そのまま身体を反転させてトップケーブルに乗る。師匠は器用に肩から腕、ロッドへと位置を変え、再び肩へと飛び移った。師匠は私の体には絶対に爪を立てない。なのになんで落ちないんだろう?さすがは師匠というべきか。
「謝らなくていい… でも、今のムーブはいいな」
師匠はこういうダイナミックで体の軽さを生かした動きが好きだ。まあ、猫だからね。
一番高いケーブルの上に立つと急に視界が開けた。南西方向にひときわ高いクライアントのビルが見える。全面紫色の壁面にスモークのかかった黒い窓、相変わらず趣味が悪い。
「あいつの仕事は気に食わないな。いつもろくな事にならない。….動きを止めるな」
つい足を止めていた。うながされてトップケーブルの上を走る。気持ちがいい。天気もいいし、この辺りは高いビルも少ないからビル風の心配もない。
「私もあんまり好きじゃないけど、金払いはいいからね。いやならついてこなくてもいいのに」
師匠が肩の上で毛づくろいを始めた。何かやましいことがあるらしい。
「いや、あいつの所で出す猫缶は美味い」「師匠、いいかげんに客先で餌もらうのやめなよ…」
ケーブルウォーカー、かつては多少なりとも畏怖を持って口にされた言葉だ。CWは職業と言うよりは種族に近い。都市の空に蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線や電話線、そんな鋼鉄のケーブルの上を住処とする種族。でも、かつて隆盛を誇ったこの種族も、都市の近代化に伴って徐々に電線が地下に埋設されるようにになり、電柱が街路から姿を消すとともにその活動の場を追われた。この街にも現役のCWはもう数えるほどしかいない。それも爺さんばかりだ。たぶん私がこの街の最後のCWだろう。
応接室に通されると、すぐにお茶が出た。もちろん猫缶も。とはいえ、これはたぶんオーナーの趣味じゃなくて、秘書のサトウさんの好意だろう。サトウさんはいい人だ、猫好きに悪人はいない。いや、そうでもないかな。
「何度もいうようだが、窓からじゃなくてちゃんと入り口から入ってくれないかね」
「伝統ですから」
師匠が猫缶から顔を上げてこっちをチラッと見る。CWにそんな伝統はない。
「セキュリティ上あまり好ましくないんだがね… まあいい」

Cosmonaut Aleksandr Serebrov tests the Ikar, the Soviet MMU. February 01, 1990. Via spacefacts.de.
なぜ、ロシアの宇宙飛行士が「花と緑の博覧会」のマスコットキャラクターを持って船外活動をしているのか…
ref. 花ずきんちゃん - Google 検索
情報を頂いたのでセルフReblog。どうやら小松左京氏のアイディアらしい。
…できればソ連の宇宙ステーション「ミール」と会場とのリアルタイム交信をしたいと思っていた。アメリカの歌手、ジョン・デンバーが「ミール」にいる可能性があり交渉したが、彼の搭乗が流れたので、花博のマスコット人形の花ずきんちゃんをミールに乗せてもらい、地球に帰ってきた彼女をソ連館に展示した。

Cosmonaut Aleksandr Serebrov tests the Ikar, the Soviet MMU. February 01, 1990. Via spacefacts.de.
なぜ、ロシアの宇宙飛行士が「花と緑の博覧会」のマスコットキャラクターを持って船外活動をしているのか…
ref. 花ずきんちゃん - Google 検索
(via itsfullofstars)
随分前に話題になってさんざん批判されていたから下火になったのかと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。正直またかという感じだけれど、何度でも書いておこう(内容は昔ブログに書いたものとほとんど同じ。元の文章はリンクや内容が少し古くなっているので書き直した)。
江本勝氏の『水からの伝言』というのはこういう話。
水に「ありがとう」などの良い言葉をかけて凍らせると美しい結晶を作り、「ばかやろう」などの悪い言葉をかけると醜い結晶を作る。人の体の大半は水分だから、人に対して悪い言葉を使っちゃいけない。
僕はこの考え方が嫌いだ。科学的にはどう贔屓目に見てもナンセンスだし、御伽噺としてもあまり面白くない。でも、それ以上に道徳的な訓話として最低の部類に入ると思う。
これは「正しいものは美しく、間違っているものは醜い」という話だ。ここでは、正しさと美しさが何の批判もなく結び付けられている。僕たちはこれまでこの考え方の下でろくな事をして来なかった。こういう価値観の下で苦しんだり、悲しい思いをしてきた人の話を僕たちは沢山知っている。
かつて「我々は美しく、正しく、優れている」と言いながら、皆に不幸を配って歩いた人たちがいた。あるいは、生れた場所や、肌の色や、話す言葉の美しさが、その人の正しさを決めていた時代があった。そしてそういう人たちや考えかたを心から歓迎した人たちが沢山いた。そんなに昔の話じゃない。彼らは僕らより愚かだったんだろうか?僕らはもうそういう言葉を信じないですむほどに賢くなったんだろうか?僕はそうは思わない。だって、未だにテレビや新聞はそういうニュースでいっぱいじゃないか。
ちょっと大げさかな?そうかもしれない。そんなに目くじらを立てるようなことじゃなくて、笑って済ませればいいのかもしれない。いいじゃないか、ただのお話なんだから。言っていることは間違っちゃいないんだし、「正しいものは美しい」なんて誰も本気で信じていないよ。本当にそうなのかな?でも、あの話を賞賛する声を聞くたびに、僕は少し不安になる。
欠けた所が無く、均整が取れ、純粋で、汚れがないものを美しいと評するのは構わない。そういう美しさが人の心を揺さぶる事は山ほどある。でも、それを正しさの判断基準にするべきじゃない。「正しいものは美しい」という言葉は「間違っているものは醜い」という言葉の上に成り立っている。そしてこれはあまりにたやすく「美しいものは正しい」「醜いものは間違っている」という言葉に変わってしまう。
確かに、美しいものが正しく見えることはあるし、正しいものが美しく見えることもある。でも、それは正しいから美しいんじゃないし、美しいから正しいんじゃない。その二つに因果関係を求めるのはとても危険だ。これは科学的かどうかの問題じゃない。水だろうが科学だろうが神さまだろうが、こういう言葉を聞いたら立ち止まってその意味をよく考えた方がいい。
僕たちの「正しさ」や「美しさ」の判断基準はとても危ういバランスの上に成り立っている。それは、とても弱く、曖昧で、ちょっとしたことですぐに変わる。それは決して悪いことばかりじゃない。僕らは新しい価値観に出会うたびに戸惑い、考え、悩み、そしてそこから新しい正しさや美しさを見つけてきた。でも、だからこそ、正しさを美しさの根拠にすべきじゃないし、まして美しさを正しさの根拠にするべきじゃない。価値の判断を他の誰かに委ねてはいけない。それはこれまで本当に沢山の人を不幸にしてきたんだ。
水は答えなんか知らない。水に「ありがとう」という言葉の正しさを問うぐらいなら、世界一美しい「ばかやろう」を自分で探しにいく方がずっといいよ。
あれ、Lindsey Stirling さんの Zelda Medley にこんなシーンがあったっけ、と思ったら別のムービーでした。こちらがオリジナル。
ref. Legend of Zelda: Pot Smasher - YouTube
彼女は踊りながらヴァイオリンを弾くので有名な人ですね。
ref. Zelda Medley- Lindsey Stirling - YouTube
(via petapeta)
今でこそ日本人も設計図を作ってから建物を建てますが、日本の江戸屋敷には設計図がないんです。
江戸屋敷では最初に床柱を何にするかを決めます。それによってその家の風格が決定付けられるんです。安いものを使うと、ほかも全部安っぽくなってしまう。床柱の次は隣の引き戸を作ってとやっていって、そういうことが終わってから初めて「部屋の広さどうしようかなあ」となる。つまり、細かいところから入っていって、少しずつ作っていくんです。そして、1部屋できたら、「隣の部屋どうしよう」となる。
ここで大事なこと。まだ、玄関もトイレもお風呂場もないんです。部屋を建て増しで作っていって、ある段階で「玄関やお風呂場をどこにしよう」というやり方で作っているんです。
何が基本になっているかというと、室町時代以来そうなのですが、畳の大きさの天地180センチ、横90センチ。これをレゴみたいに組み合わせていく。こうしてできあがったものは上から見ると、教会を上から見た時の十字架とはまったく違ったものになる。右と左がごちゃごちゃなんですよ、ところどころはみでたりして。
つまり、日本の建物の最大の特徴は建て増しだということです。これが外国の人に違和感を与えるんです。整理すると、外国は全体から部分へ行く、日本は部分から全体に行く。これはまったく違う発想なんですよ。
Business Media 誠:時間と空間をゆがめるのが特徴――ジブリ・鈴木敏夫氏が見る日本アニメの現在と未来(後編) (1/5)
2010-11-27 (via tessar)
プログラミングにも通じそうと思ったのだけれどよくまとまらない
(via zunda)
うーん、ちょっと誤解を呼びそうな文章ですね。プランニングの方法としてディテールから入っていったという面はあったかも知れませんが、図面に類するものがなかったわけではありません。
江戸時代でも「図」や「指図」、「絵図」というものが使われていました。さすがに今の建築図面とは精度などはまるで違いますが、単なる絵ではなくちゃんと寸法も入った図面として使えるものです。3面図を切り抜いて立体に起こした「起こし絵図」は有名ですよね。
ref. C0034529 数寄屋起し絵図_妙喜庵待庵 - 東京国立博物館 画像検索
確かに、寸法や間取りがモジュール化されていて、簡易な図面や言葉だけでも用が足りたのは事実でしょう。でも、図面を使わなかったというのはちょっと言い過ぎです。
ref. 非文字資料としての建築図面 ※PDF注意
(via zunda)

確証があるわけではないのだけど、なんとなくフェイクっぽい…
第1に、流星や隕石が光るのは高度100km〜20kmぐらいまでで、旅客機の飛ぶ高度よりずっと高いところで光るのをやめる。旅客機から地平線にカメラを向けてこの位置に隕石が写るというのはちょっと考えにくい。
第2に、地上が夕方であるのもかかわらず、太陽の高度が高すぎる。画面では奥が夕景で手前が暗くなり始めている。つまり、地上から見ると奥の部分では太陽は地平線近くに、手前部分ではもう地平線下に沈んでいるはず。また、手前の雲の影もほぼ水平に光が当たっているように見える。旅客機から撮影されたものだとすると、写り込んでいる太陽と光源の方向が合っていない。あるいは、高度数百キロから撮影すればこのように写る可能性がある。
第3に、太陽が画面内に入っているということは、この写真は本来なら逆光になっているはず。露出を変えた複数の写真を重ねて擬似的に露出の合っているレンジを広げるHDRという手法もあるが、流星/隕石のような高速移動する物体をHDR撮影するのは不可能に近い。
第4に、旅客機から撮ったにしては地平線の曲率が大きすぎる。このRのつき方だと少なくとも高度数百キロ、スペースシャトルや国際宇宙ステーションの視点に近い。レンズの歪みの可能性もあるけれど、それにしては他の部分がフラットすぎる。一方で、上層部の雲は軌道上からの撮影にしては近すぎる。高高度から撮影されたものに上層雲が足されているか、低高度から撮影されたものに後処理で歪みが加えられているように見える。
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ちなみに、作者の John Colbensen氏は写真を素材とした合成作品も多数作っておられる方
—-
参考(衛星軌道上から撮影された夕景):
(via vmconverter)
植物の力 続・妄想的日常 (via iyoupapa)
2011-03-28 (via gkojax-text)
残念ながらそんなことは起きないし、起きていない。
セシウムを選択的に体内に取り込むバクテリアや放射線をエネルギーとして利用するバクテリアの報告はあるけれど、放射性物質の崩壊を促進する生物はいない。原子核の崩壊を促進する研究は加速器などを使って行われているけれど、必要なエネルギーが生物の体内で起きている化学的なエネルギーとは桁が違うので、生体内核種転換は物理的にまず不可能。
核物理学の分野では、極めて厳密な計測が繰り返し行われているので、もし仮に未知の物理現象によってそのような反応が生体内で起きていたとしたら、実験でノイズとなって現れてすぐに検知されるはず。もし、これまで一定とされてきた崩壊速度がそんなに簡単に変化するとなると、ありとあらゆる物理法則や理論が書き換わってしまうので大騒ぎどころじゃない。
そこまで厳密でなくても、放射線計測器は放射線のカウントやエネルギー量を測っているので、もしそれがコロコロ変わるとなると、核種分析や計測器の校正がまるで役に立たないということになる。今や日本は世界で最も大規模かつ仔細に環境中の放射線量が計測されている場所になっている。そこで理論値と計測値が大きくかけ離れるようなことが起きればすぐに分かる。
ref. 微生物は放射性物質を濃縮できても無害化はできない - Togetter
(via vmconverter)